英語を武器に国際社会に打ってでる!

英語が武器になると考えている人はかなり多いでしょう。

確かに英語ができるだけで、外資系企業で有利なポジションについたり、はたまた海外で好きな仕事をする機会にも恵まれます。

もちろん、英語だけ出来てもその人の本職がなんであるかが最も重要になるから、英語はやっぱり道具として考えておいた方がよさそうです。

ヤンキースに移籍したイチローも、ヒットを打って塁にでると、打撃コーチや相手側の一塁選手と何やら会話をしているのを見かけます。
松井もそうでしたね。何か英語でブツブツと会話している。

これらは、英語を目的にしているのではなくて語学があくまでも道具となっている良い例でしょう。
英語の達人の大橋巨泉さんは、

「いくつになってもやる気さえあれば十分できる。前述したように、現在の日本の英語教育ではダメ。英語は「学問」ではなく、コミュニケーションの道具だから、「習うより馴れろ」である。」

と言いきっています。 (講談社「巨泉 人生の選択」より引用)

英語だけじゃダメというのは、たとえば海外現地で仕事をしていいれば、周りはみんな英語ができてしまうから、英語ができることは別に有利にはならない。英語が出来ないことが不利にはなりますが。

朝日新聞のホームページでコラムを執筆している瀧川宏子さんは、米国で会社に勤めていますが、下記のように解雇になったときの様子を書いています。

「これはやばい、次は私かもしれない、と思い、トイレに行って気を静めてでてきたところ、上司に呼ばれた。

もう顔中にかいてあった。何も言わなくてもわかるというものだ。こちらのほうが落ち着いていて、「レイオフするときには、どんなせりふを言うのだろう」なんて考えながら、上司の顔をみた。
「悪いニュースがある。君のポジションが、本社(買収したほうの会社)によって今日、エリミネートされた(つまりポジションがなくなったということ)、という通知を受けた。僕は僕なりにがんばったけど、もう僕の会社ではないから、もうなんともしようがない」
(アサヒ・コムHP「ベイエリア・ママ」より引用)

英語ができても解雇されてしまうのは、状況が米国だからという事情もあるでしょうが、その波は、日本にも押し寄せています。

私は昨年から英語ができることが有利になることと同時に英語が出来ないことが振りになることについても書いてきましたが、同様に警鐘を鳴らしている人が少なからずいます。
なによりも、ビジネスマンが近い将来その対象となるでしょう。

元一橋大学教授で、かつてソニー社外取締役に抜擢されて注目を集めた中谷巌氏は、同じく朝日新聞コラムで次のように警鐘を鳴らしています。
「ほかに取り柄がなかったからサラリーマンになった」と言う人は結構多いのではないだろうか。
昔はこれで良かった。しかし、年功序列や終身雇用制度が崩れ始め、マーケットで通用する「プロ」が求められる時代になったいまは事情が違う。

何となくサラリーマン生活を送っていては、どの道のプロにもなれないから、リストラにあったとたんに路頭に迷うことになる。
日産自動車では、ルノーの資本が入り、フランス人幹部が増えたため、ほとんどの重要な会議が英語になったという。英語で会議に参加できない人は出世の見込みがないのだとも言う。

国際企業の社員ならせめて英語で会議ができるように日頃(ひごろ)から訓練しておくのは当然だろう。

その上に、財務やマーケティングなど、それぞれの分野のプロとしての能力を磨くべきものなのである。

「取り柄がないから仕方なくサラリーマンになる」という考え方はだんだん通用しなくなってきたことを私たちはもっと明確に認識する必要がある。」
(アサヒ・コムHP 「思考一新講座」より引用)

出世のために英語を勉強するというのは、なんだか世知辛い気がしますが、英語でのコミュニケーションが当たり前という時代はもう遠くないそこにまで来ていることが事実です。

ルノーという会社は皆さんご存知のとおりフランスの会社です。普通だったらフランス語となるところですが、あえてみんなで「共通に」コミュニケーションできる英語といってることに注目してください。
スイスのネスレという企業も社内公用語は英語。スウェーデンの会社も社内公用語は英語。
つまり、みんなで共通して話せる言葉で仕事を進めよう、というのでみんな母国語ではなく英語でコミュニケーションをする。

いままで日本は純日本人の社会でしたから日本語だけでOKの状態が長らく続きましたが、楽天やニッサンの例をみるまでもなく、一部の人だけが英語に接する部門という時代はとうに終わっているようです。

このように書いてくるとなんだかつまらない世の中になってしまったようにも感じますが、私は英語の習得に関しては、「英語は学問ではなく言葉なのに、習いたくもない子供に学問として教えても、苦痛を与えるだけである。」という大橋巨泉さんの言葉と同じように、子供だけでなく大人にとっても学問として学ぶよりも、コミュニケーション習得の過程で身に付けるべきものと考えています。
そして英語を学ぶのも大事、そして学んだことを使うことはもっと大事だと思います。